ある夏の日に観た映画の話

       

 

 大学2年生の夏、飯田橋ギンレイホールといういわゆる「名画座」で映画を観た。二本立てで学生1200円。やや会場は狭いが、飲食物が持ち込み可で居心地のいい空間だった。一本は金融業界の話で、タイトルも覚えていない正直退屈な映画だった。だが、あの日観たもう一本の映画『スポットライト 世紀のスクープ』は、一生忘れることのできない衝撃を私に与えたのだ。

 

 実話をもとにしたこの映画は、アメリカのローカル紙『ボストン・グローブ』の中でも<スポットライト>というコーナーを担当する記者チームにカメラを向ける。新しい編集局長が投げる質問から、物語は動き始めた。「このコラムを読んだか?」記者は読んでいると答える。「なぜ、これを調査しないんだ?」記者は戸惑った様子を見せる。

 

 コラムの内容は、男の子に対してカトリック教会の神父が性的いたずらをする事件が過去数回あったが、どれも示談になったという内容だった。記者が戸惑いを見せた理由は、ボストンにおいてカトリック教徒が非常に強い勢力を持っていたところにある。つまり教会は誰も手を出せない「タブー」であり、記者の頭にある検討リストからは自動的に抜け落ちていたというわけだ。

 

 しかしよそ者である新編集局長の鶴の一声により、スポットライトチームはこの件に関して調査を始めていく。だが調査が進むにつれ、彼らの表情は深刻さを増していく。彼らが見つけていった事実は、「いたずら」などという可愛い言葉で覆い隠せるものでは到底なかった。そして「過去数回」どころではなかった。「ボストン」だけでおさまる話ではなかった。被害者の声、被害者にされる子どもの特徴、隠蔽のからくり、バチカンの関与。記者たちが駆けずり回って次々と証拠を見つけ、結び付けていく姿から目を離すことができなかった。

 

 世に伝えなければいけない、しかし誰かがやらなければ永遠に明るみにでることのない「真実」というものが、この世に存在するのだ。そう思った。頭ではわかっていたが、初めてまざまざと肌に感じた。

 

 映画の終盤、神父による性的虐待事件の全貌が掲載された『ボストン・グローブ』は、ボストンの家々に配られる。そのカットの直後、『ボストン・グローブ』のオフィスに一つ、また一つ、そして徐々に大量のコール音が鳴り響く。「真実」が人々に届いた瞬間だった。

 

このコール音ほど高らかで、そして希望に満ちた音を私は知らない。